天才はどこだろう。
私たちに感動以上の何か、人生の枠を変形させうる、想像を上回る喜びを与えてくれる他者。
天才とは他力本願の別名だろう。
自分の努力を肩代わりして、その利益を私へともたらしてくれる誰か。
あくたの死に際の主人公・黒田マコトは文才と人間的魅力に溢れた物書きである。
彼はすばらしい人々と巡り合い、すばらしくない人々から捨てられ、捨て、当然だが漫画のような人生を謳歌していく。
鼻血を出しながら小説を書ける人間は、それだけでは天才ではない。
そんなことをいえば、私とて水や電気が止まった状態で精神を病みながら小説を書いていたし、書き続けている。
小説家はどこだろう。
商業的に成功しているだけの作家を、私は小説家と呼ばない。
私はどこから来て、小説家になっていくのか。そして、最後にはどこへ行くのか。
黒田マコトというプリズム、わずか一巻分の厚さのそれを通して、私は、私の死に際を垣間見た。
やさしい日本語
天才は、どこにいるのだろう。
天才は、私たちに、ただ感動するだけではない何かをくれる人だ。私たちの人生の形を変えるかもしれない。そして、考えていたより大きな喜びをくれる。
「天才」は、「他力本願」の別の名前かもしれない。
つまり、私の代わりに努力して、その努力から生まれたよいものを、私にくれる誰かだ。
『あくたの死に際』の主人公は、黒田マコトだ。彼は文章を書くことが上手で、人としても人をひきつける力がある。
彼は、すばらしい人たちと出会う。よくない人たちに捨てられることも、自分から捨てることもある。そして、漫画の主人公のような人生を楽しんでいく。これは漫画なので、もちろんそうなる。
鼻から血が出ていても小説を書ける。それだけでは、天才ではない。
そう言うなら、私も、水や電気が止まった生活の中で、心の病気になりながら小説を書いていた。今も書き続けている。
小説家は、どこにいるのだろう。
本が売れて、お金をたくさん得ただけの作家を、私は小説家と呼ばない。
私は、どこから来たのか。どうやって小説家になっていくのか。そして最後に、どこへ行くのか。
黒田マコトは、光をいろいろな色に分けるプリズムのようだ。そのプリズムは、漫画1巻の厚さしかない。私は彼を通して、自分が死ぬ前の姿を、少し見た。