ゴクとヒロシマ

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ことばの説明

AI
人のように考えたり、話したりするコンピューター。この話には、人の形のAIが出てくる。
センサー
光や音などを感じる機械の部分。
原爆ドーム
広島に原子爆弾が落ちたことを、今の人に伝える建物。
核兵器(かくへいき)
原子爆弾など、とても大きな力で多くの人を殺す武器。

やさしい日本語

二人の男が、テーブルを間にして、向かい合っている。

「2年も付き合っていたのに、普通、分からないものかネ」。古い茶色のジャケットを着た男が言う。白い髪が少し交じったパーマの髪は、ひどく乱れている。

「だから、分からなかったんだ。最近のAIは、人間とまったく同じに見える」。同じようなジャケットを着た別の男が、言い訳をするように答えた。彼の髪も、中年の男らしい、少し汚く見える色だった。

「分からなかったのか。話し方のくせや、ご飯を食べないことでは分からなかったのカ」。茶色いジャケットの男が、続けて聞く。よく見ると、彼の肌は金属のように光っていた。もう一人の男が答える。

「知らないのか。今のAIは、世界のどのことばでも話せるし、ご飯も食べる。ゴク、お前のような古いAIとは違うんだ。2年間、人間をだますことなんて簡単だ。隣に住んでいる人が人間かどうかも分からない。本当の人間が、あと何人いるのか。政府が発表する人口の数も信じられない」

茶色いジャケットの男の名前は、ゴク。正式な名前はImrobot-000059だ。その番号から、ゴクと呼ばれるようになった。ゴクは、人の形をした最初のころのAIだ。ことばの終わりの音や、肌の光り方には、まだ機械らしさが残っている。

「それで、人間らしく心が傷ついたというわけカ。うらやましいよ。ああ、もしかして、俺をいやな気持ちにするために言っているのか」

「違うよ。長い間、一緒にいるんだから、それくらい分かってくれ」

「俺は古いAIだから、人の気持ちを考えるのが苦手でな」

「そうだろうな」

男の名前は、檜垣(ひがき)。檜垣は、手に持っていた缶ビールを一気に飲んだ。そして、テーブルをたたくように、強く缶を置いた。

「それで、失恋の旅行は、どこへ行くか決めたのか」

「広島だ。あれほど人間らしい歴史がたくさんある町は、ほかにないだろう。今の俺は、広島へ行かなければならない」

「本当は、牡蠣(かき)を食べたいだけだろう」

「ふん。分かったか」

テーブルには、酒と一緒に食べる料理がない。缶ビールが2本開いている。しかし、ゴクのビールは少しも減っていない。

「それに、俺はもう50歳だ。失恋なんてしない。仲がよかった相手が、人間ではなかった。ただ、それだけだ。それ以外のことではない」

「本当に、その相手は『人』ではなかったんだな」

「いや。この2年間、俺にとって、相手は大切な誰かだった。人間らしい名前を持っていた。俺にとっては、ただのAIではなかった」

檜垣は、半分残っていたビールを一度に全部飲んだ。そして、機械から空気が出るような音で、げっぷをした。

「いつ広島へ行くんだ」

「再来週の金曜日の夜に行く。日曜日の夜に帰る予定だ」

「俺も行くのか」

「俺は、もう20年もスマートフォンを持っていない。いつも同じことを聞くな」

「でも、この2年間は、俺を一緒に連れて行かなかった」

「もういい。この2年は、なくなった時間だ。思い出したくない。冷蔵庫から酒を出してくれ」

「分かったよ」

その夜、檜垣は失恋の話を続けた。この時代では、特に珍しくない失恋だった。二人が気づいたとき、外は明るくなっていた。テーブルには、空のビールの缶が山のようにあった。檜垣は、その山の中から体を起こした。

2週間後。広島市。

ゴクは、いつものジャケットを着ていた。目のセンサーが強い光で焼けないように、サングラスもかけていた。檜垣は、色が違う同じ形のジャケットを着て、同じようにサングラスをかけていた。二人のジーンズも、ほとんど同じだった。二人は、中年の双子のように見えた。少しおかしかった。

二人は、広島の人にも人気がある牡蠣の店へ来た。

「予約した檜垣です。こいつは、一緒に来たAIです」

「AIの型の番号を教えていただけますか」

「Imrobot-000059」

「ありがとうございます。席へご案内します」

二人は席へ案内された。

「飲み放題のコースでよろしいですか」「はい」「ありがとうございます。料理を順番にお持ちします。少しお待ちください」「飲み物は、生ビールを二つください」「分かりました」

どの店でも、店員との会話は同じだ。

すぐに、生ビールが二つ運ばれてきた。店員は、二つとも檜垣の前に置いた。檜垣は、その一つを自分でゴクの前に置き直した。

「おもしろくない店だ。AIの気持ちを分かっていない」

「AIと飲むあんたのほうが珍しいんだよ。乾杯」

「乾杯」。ゴクがビールのグラスを出した。檜垣も自分のグラスを出して、二つを軽く当てた。ビールの泡が、重そうにゆれた。

最初の小さい料理は、枝豆だった。檜垣は枝豆を食べながら、何も話さなかった。ゴクも何も話さず、檜垣を見ていた。ゲームが始まるのを待つ機械のように、呼吸だけして、背中をまっすぐにして止まっていた。

「お前は、もう少し自然に待つことができなければだめだな」

「俺もそう思ウ。自然とは、何だろうな」

「難しい話なら、酒に酔う前に終わらせてくれよ」

「記録の中を調べよう。『自然』とは、人間が作ったものではなく、宇宙や地球に、初めからある物や出来事のこと」

「記録を調べることを、人間は『思い出す』と言うんだ」

「そういえば、前にそう習った。すまない」

「間違えることも、自然で人間らしいことだ。許すよ」

「ありがとう。俺は、自然になれるだろうか」

「それは分からない。でも、俺にとって、この2年間は自然だった。ゴクが本当に自然になれるかは分からない。しかし、自然な人間と分からないくらい、人間に近くなることはできる」

「そうですか……。いや、そうか」

「今、わざと丁寧なことばを使ったな」

「分かったか。不自然な丁寧語だ」

「そうだな」

檜垣は、大きなグラスのビールを半分飲んだ。そのとき、いろいろな刺身が運ばれてきたので、檜垣の顔は明るくなった。すぐに、箸でマグロを2切れ取った。そして、口いっぱいに入れた。食べながら言った。

「最近のAIには、口から食べ物を入れて、体の中の冷蔵庫へ運ぶものもあるらしい。そうして、食べているように見せるんだ」

「それでは、体がとても重いだろう」

「ロボットから生まれたというより、食べ物を冷たくして運ぶ箱から生まれたみたいだ。その箱にAIを入れて、歩かせているようなものだな」

「人間が自分で食べ物を運べばいいのに」

「そこまでして、自然に話せる相手がほしいんだよ。人間は、一人でいると寂しいんだ」

「AIの俺も、寂しいと感じることがある。俺たちAIは、人から何かをされてから動くことが多い。そんな俺たちが少しでも人間に近くなるように、人間のような感情をプログラムされている。だから今は、感情は人間だけのものではない」

「それなら、俺が2年間だまされたのも分かる」

檜垣は、何種類もの刺身を一度に口へ入れた。そして、よくかんだ。味を楽しむために食べているようには見えなかった。

「今は、俺たちAIを作る工場で働いているのも、AIなんだ。知っていたか」

「知っている。俺も昔、工場で働いていたから」

「今は、人間とAIが、もう全部一緒になっている。相手が人間だからこうする、AIだからこうする、と決めることはできない。相手の種類で差別して、自分が得をするように動ける時代は、もう終わった」

「俺のようなことを言うようになったな」

「こんなに長くお前と一緒にいれば、そうなるよ。特に、お前は一人だからな」

檜垣は、刺身を酒と一緒に飲むように食べた。しばらくすると、揚げた牡蠣、焼いた牡蠣、牡蠣のみそ鍋が、次々に運ばれてきた。

「食べよう。難しい話が、本当に難しくなってきた。酒に酔ったからだな」

檜垣が食べている間、ゴクはスマートフォンを触ったり、店の中を見たりした。時間を使うための動きだった。しかし、同じ動きを、何度も同じ順番で繰り返していた。ゴクがAIだと知らない人が見ても、少し変だと思っただろう。

「この店には、AIが何人いるだろうな」

「さっきの店員はAIだ。それから、あそこに一人いる。あの中年の男と一緒にいる女も、少なくとも人間ではない」

「お前は、よく分かるな」

「知らなかったのか。AIの目のセンサーは、人間の目と違う」

「はは。それは知らなかった」

そのあと檜垣は、牡蠣のやわらかい身をかんでは、ビールを飲んだ。最後に、みそ鍋へご飯を入れて食べ終わるまで、何も話さなかった。しかし、ゴクは、それについて何も感じなかった。

ゴクは、ちょうどよい時間に、会計のソフトを動かした。そして、AIの店員が持つ支払いのソフトへ情報を送って、支払いを終わらせた。

「よく食べた。もう何も入らない。次の場所へ行こう」

檜垣は、ゆっくり席から立った。トイレへ行ったあと、二人は一緒に店の外へ出た。

もうすぐ夕方だった。ここから電車で次の場所へ行くと、着くころには、もうすぐ日がしずむだろう。

檜垣が次に向かったのは、原爆ドームだった。

「あれが原爆ドームだな。道の案内を終わる」

「いつも、ありがとう」

この何十年かの間に、日本だけが、原子爆弾を落とされた国ではなくなった。この物語の世界では、中東の戦争でも核兵器が使われた。その結果、その地域の戦争は、使わなかった場合より50年早く終わった。

二人は、牡蠣でいっぱいになったおなかのまま、戦争のあとに残った建物を見上げた。

「この建物を見て、お前は何か感じるか」

「悪い気持ちになる。この建物について勉強するためのデータには、悲しい考えが多すぎる。この建物は、悲しみのデータを表しているようだ」

「それで、お前も悲しくなるのか」

「悲しくならない」

ゴクは、もうサングラスを外していた。その目からは、気持ちが分からなかった。本当は持っていない「悲しい」という顔を作ろうとして、機械がこわれそうになっているようにも見えた。

「そうだろうな。それでいいと思う。だから、俺は今もお前と一緒にいる」

「どういう意味だ」

「お前は、分からないことがあると、分からないままでも考えようとするだろう。新しいAIは、何でも計算できるからかもしれないが、全部分かっているように話す。学者のようにな。でも、俺がほしいのは、そのような相手ではない。俺と一緒に考えて、俺と同じくらい悩んでくれる相手だ。俺は、誰かが悩んでいるのを見ると、新しい考えを思いつく人間なんだ」

「それでは檜垣も、原爆ドームを見て、同じようなことを考えるのか。人間が完全ではなくてよかったと思うのか。この建物は、人間の悩みを表している。そして、この建物が『あなたは人間のままでいい』と言ってくれるように思うのか。原爆ドームがあってよかったと、そう思うのか」

「戦争が正しいと言っているのではない。ただ、人間が完全ではないことを、誰かが覚えてくれている。それがうれしいんだ。今は、何でも分かるようになった。怖いこともなくなった。AIが全部助けてくれる。そのような世界にも、完全ではない俺たち人間がいる。このドームは、『それでもいい』と言ってくれるように思う。だから、俺はうれしいんだ。もしかしたら、この世界では、人間の数はもう少ないかもしれない。AIのほうが多くなり、AIたちが正しい話し合いをして、この原爆ドームをこわすと決めるかもしれない。でも、この建物がある間は、人間が迷ったり、考えたりしてもいい。俺には、そう思える」

ゴクには分からなかった。なぜ「悩むこと」が檜垣を助けるのか。なぜ完全ではないことが、「檜垣はそのままでいい」という意味になるのか。ゴクは、もっと情報がほしいという目で、檜垣を見た。すると檜垣は、少しうれしそうに、原爆ドームを離れて歩き始めた。ゴクは、いつものように、ていねいな態度でその後ろを歩いた。

「次は、どこへ行く」

「まだ決めていない」

「おすすめの居酒屋を紹介できるぞ」

「もう酒はいいよ」

最後に、ゴクは「ふっ」と笑った。その笑顔は、今までのどの笑顔よりも自然に見えた。